2007年03月06日 (火) | 編集 |
(イオンクレジット有料会員誌『MOM』2005.9月号掲載記事)
お金の教育を通して、お金本来の意味を理解させる
最近の小学生に将来の夢をたずねると、「先生になりたい」とか「スポーツ選手になりたい」ではなく、「お金持ちになりたい」という答えが圧倒的なのだそうです。物があふれる豊かな現代、さらなる物欲を満たすために、「お金さえあれば望みが叶う」と思っている子どもがいかに多いかということを、如実に表しているといえます。
このような状況下で、まとまった金額のお小遣いを与えたら、ますます子どもはお金に執着するのでは?と心配される方もいらつしゃるでしょう。確かに、今の世の中のしくみは、お金と密接に関わっており、その力を感じざるを得ません。だからこそ、お金との正しい付き合い方を学ぶことで、お金に振り回されない、つまり、「お金第一主義」にならない術を教えられるのです。
「物をつくる前に人をつくる。良い材料からしか、良い物ができないからだ」とは、故松下幸之助氏の言葉ですが、「物」を「社会」に置き換えれば、「良い社会をつくるには良い人が必要」と言えますよね。そしてこの、「良い人材づくり」とは、親はもちろんのこと、次世代の子どもを育成する、私たち大入全員の責務なのです。
今の世の中は、効率と利益が何よりも優先されています。確かに、企業の目的は営利を追求することですが、不祥事が発覚し、代表者が記者会見で謝罪しているような企業は、「社会を活性化させる」という、お金本来の役割を軽視し、お金にとりつかれているとしか思えません。しかし、6月号でご紹介した「るいとう」など、お小遣いの使い道を通して、小さいころから社会に目を向ける習慣がついた子どもが増えれば、彼らが大人になり、世の中を引っ張っていく立場になっても、利益第一主義に陥ることはないはずです。世界的な視野で社会的費務を認識できる、良識のある大人へと成長することでしょう。
「毎月のお小遣い」という家庭学習で繰り返し教えられれば、お金が社会を活性化させる、ひとつの道具であることが理解できるようになります。何でも親が買い与えていては、お金が労働の対価であることも、限られた収入の中でやりくりする意味も理解できないまま。それでは、「お金があれば何でも買える(できる)という、お金第一主義に陥っても不思議ではありません。
社会のためにお金を使う「寄付活動」に参加してみる
日本を含めた世界各地で、地震や津波などの大変な災害が続いていますが、「明日は我が身」かもしれません。それを考えると、寄付という助け合いの大切さがわかってくるというもの。常に誰かを思いやる心や、社会とのつながりを考えさせるためにも、子どもが寄付活動に参加するのはとても大切なことだと私は考えています。
それに、お金は貯め込むためにあるのではなく、有効に使うためにあるのです。自分の夢や将来に備えての貯蓄はとても大切ですが、貯めることに必死で守銭奴のようになる危険性もあります。お金を、「自分のためだけに使おう」とする意識を根付かせないためにも、寄付の習慣はつけさせたいものです。人はどんなときでも、社会の中で助け合って生きているんですものね。
寄付は、金額が多ければいいというものではありません。自分のできる範囲で行えばいいのです。お子さんが行う場合の目安は、お小遣いの0.5〜1% で十分です。例えば、子どもが30円の寄付をしたとします。子どものお小遣いが3000円なら、30円は1%です。つまり、家計費が50万円の家庭で5000円の寄付をするのと同じことなのですから、その価値は単なる「30円」ではないのです。少ない収入(お小遣い)の中から、自分のできる範囲で人のためにお金を使う意識を持ち続ける努力は、お金に執着しない、心のゆとりを生みます。それは「施しをした」というような高慢な騎(おご)りとはまったく別のものです。
寄付を「義務」だとは思わないで
赤い羽根募金や緑の羽根募金、交通遺児募金に歳末助け合い募金など、定期的に行われる募金は、場合によっては半ば強制的に徴収されるような印象を抱くこともあります。もしかすると、寄付という行為に、何となく嫌な感情を持っている方もいらっしゃるのではないでしょうか。各人の善意の行為である「寄付」を強制されるのは、いい感じはしませんよね。重要性をわかってはいても、強制されると、「自分たちの生活も余裕があるわけじゃないのに……」という、反発の気持ちが生じてしまうものです。これは、子どもも同じこと。ですから、「必ず寄付をしなさい」とダイレクトに強制するのはやめましょう。
まず最初に、「社会のためにお金を使う」という意識を持たせます。そのためにはまず、社会に目を向けさせることが必要です。世の中でどんなことが起こっているの? 自分たちにできることは何? という「?」を、親子で考えるきっかけをつくりましょう。 例えば、親子で買い物に行ったとき、レジの側に、カンボジアに学校を設立するための募金箱があったとします。そんなときは、世界中には学校へ行けない子どもがたくさんいることを話してあげてください。また、レストランの入り口で「盲導犬・聴導犬は入れます」のステッカーを見つけたら、サポートアニマルの育成状況を説明してあげてください。そして、一人ひとりがほんの少しずつ何かを我慢するお金で、様々な物事を良い方向に変化させることができるのだと伝えます。強制しなくても、子どもは自然に、何をするべきなのかを理解するでしょう。
さて、子どもたちに寄付を提案する際に、もう一つ注意したいことがあります。それは、見返りを求めないことです。子どもたちは寄付をした印として、赤い羽根や緑の羽根を欲しがりますが、それらには経費がかかっていることや、本来寄付という行為は、見返りを求めるべきものではないということを伝えましょう。その羽根をつけることが、「寄付をしましたよ」という見栄になっては、本来の意味からはずれてしまいますよね。羽根をつける人がいなくなれば、その分の経費を純粋に寄付として活用できるのですから、それがいかに無駄な行為であるか、早いうちから子どもたちに気付かせたいものです。
お金の教育を通して、お金本来の意味を理解させる
最近の小学生に将来の夢をたずねると、「先生になりたい」とか「スポーツ選手になりたい」ではなく、「お金持ちになりたい」という答えが圧倒的なのだそうです。物があふれる豊かな現代、さらなる物欲を満たすために、「お金さえあれば望みが叶う」と思っている子どもがいかに多いかということを、如実に表しているといえます。
このような状況下で、まとまった金額のお小遣いを与えたら、ますます子どもはお金に執着するのでは?と心配される方もいらつしゃるでしょう。確かに、今の世の中のしくみは、お金と密接に関わっており、その力を感じざるを得ません。だからこそ、お金との正しい付き合い方を学ぶことで、お金に振り回されない、つまり、「お金第一主義」にならない術を教えられるのです。
「物をつくる前に人をつくる。良い材料からしか、良い物ができないからだ」とは、故松下幸之助氏の言葉ですが、「物」を「社会」に置き換えれば、「良い社会をつくるには良い人が必要」と言えますよね。そしてこの、「良い人材づくり」とは、親はもちろんのこと、次世代の子どもを育成する、私たち大入全員の責務なのです。
今の世の中は、効率と利益が何よりも優先されています。確かに、企業の目的は営利を追求することですが、不祥事が発覚し、代表者が記者会見で謝罪しているような企業は、「社会を活性化させる」という、お金本来の役割を軽視し、お金にとりつかれているとしか思えません。しかし、6月号でご紹介した「るいとう」など、お小遣いの使い道を通して、小さいころから社会に目を向ける習慣がついた子どもが増えれば、彼らが大人になり、世の中を引っ張っていく立場になっても、利益第一主義に陥ることはないはずです。世界的な視野で社会的費務を認識できる、良識のある大人へと成長することでしょう。
「毎月のお小遣い」という家庭学習で繰り返し教えられれば、お金が社会を活性化させる、ひとつの道具であることが理解できるようになります。何でも親が買い与えていては、お金が労働の対価であることも、限られた収入の中でやりくりする意味も理解できないまま。それでは、「お金があれば何でも買える(できる)という、お金第一主義に陥っても不思議ではありません。
社会のためにお金を使う「寄付活動」に参加してみる
日本を含めた世界各地で、地震や津波などの大変な災害が続いていますが、「明日は我が身」かもしれません。それを考えると、寄付という助け合いの大切さがわかってくるというもの。常に誰かを思いやる心や、社会とのつながりを考えさせるためにも、子どもが寄付活動に参加するのはとても大切なことだと私は考えています。
それに、お金は貯め込むためにあるのではなく、有効に使うためにあるのです。自分の夢や将来に備えての貯蓄はとても大切ですが、貯めることに必死で守銭奴のようになる危険性もあります。お金を、「自分のためだけに使おう」とする意識を根付かせないためにも、寄付の習慣はつけさせたいものです。人はどんなときでも、社会の中で助け合って生きているんですものね。
寄付は、金額が多ければいいというものではありません。自分のできる範囲で行えばいいのです。お子さんが行う場合の目安は、お小遣いの0.5〜1% で十分です。例えば、子どもが30円の寄付をしたとします。子どものお小遣いが3000円なら、30円は1%です。つまり、家計費が50万円の家庭で5000円の寄付をするのと同じことなのですから、その価値は単なる「30円」ではないのです。少ない収入(お小遣い)の中から、自分のできる範囲で人のためにお金を使う意識を持ち続ける努力は、お金に執着しない、心のゆとりを生みます。それは「施しをした」というような高慢な騎(おご)りとはまったく別のものです。
寄付を「義務」だとは思わないで
赤い羽根募金や緑の羽根募金、交通遺児募金に歳末助け合い募金など、定期的に行われる募金は、場合によっては半ば強制的に徴収されるような印象を抱くこともあります。もしかすると、寄付という行為に、何となく嫌な感情を持っている方もいらっしゃるのではないでしょうか。各人の善意の行為である「寄付」を強制されるのは、いい感じはしませんよね。重要性をわかってはいても、強制されると、「自分たちの生活も余裕があるわけじゃないのに……」という、反発の気持ちが生じてしまうものです。これは、子どもも同じこと。ですから、「必ず寄付をしなさい」とダイレクトに強制するのはやめましょう。
まず最初に、「社会のためにお金を使う」という意識を持たせます。そのためにはまず、社会に目を向けさせることが必要です。世の中でどんなことが起こっているの? 自分たちにできることは何? という「?」を、親子で考えるきっかけをつくりましょう。 例えば、親子で買い物に行ったとき、レジの側に、カンボジアに学校を設立するための募金箱があったとします。そんなときは、世界中には学校へ行けない子どもがたくさんいることを話してあげてください。また、レストランの入り口で「盲導犬・聴導犬は入れます」のステッカーを見つけたら、サポートアニマルの育成状況を説明してあげてください。そして、一人ひとりがほんの少しずつ何かを我慢するお金で、様々な物事を良い方向に変化させることができるのだと伝えます。強制しなくても、子どもは自然に、何をするべきなのかを理解するでしょう。
さて、子どもたちに寄付を提案する際に、もう一つ注意したいことがあります。それは、見返りを求めないことです。子どもたちは寄付をした印として、赤い羽根や緑の羽根を欲しがりますが、それらには経費がかかっていることや、本来寄付という行為は、見返りを求めるべきものではないということを伝えましょう。その羽根をつけることが、「寄付をしましたよ」という見栄になっては、本来の意味からはずれてしまいますよね。羽根をつける人がいなくなれば、その分の経費を純粋に寄付として活用できるのですから、それがいかに無駄な行為であるか、早いうちから子どもたちに気付かせたいものです。
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